ざっくり60年前のことがかいてある50年前の本。一般的にはそんな古い本読んでも内容が古すぎて役にたたないことが多いですね。でもこの本は違います。僕が言うのもヘンですが「必読書」ですので作詞を志すかたでまだ読んでいないかたはだまされたとおもって読んでください。Kinoppyなら1100円ですぐ読めます。(ブックオフオンラインは715円でした。値段をみていただくと客観的な評価がわかると思います。)僕も今回初めて拝読したのですが10年前のボカロP時代にチェックしておかなかったことが正直悔やまれます。まあプラスに考えればもろもろの機が熟していなかったんでしょうねw。この本ヒット曲の作詞をどうやってやるか書いてある本なのですが作例がガチで大ヒット曲ですからこれほど説得力のある本は世にも珍しいと思います。
この記事でわかること
- 作詞に王道なし
- 1年後には古くなる<手法>
- とはいえ「音楽」も音楽の「つくりかた」も古くならない
- 自信満々のところがなにかに似ている
- 時代にあわせて
- 自分で考える
こちらの本になります
リンクを張っておきますね。
とはいっても
基礎的な歌詞の作り方や言葉の勉強は当然しないとだめ。技術的なところでは安易な抜け道などありません。その次のステップとしても阿久悠さん自身がおっしゃっているとおりこの本には「こうやったらこれからヒットがつくれるよという手法が書いてある」わけではありません。ヒットするということの本質にかかわる話なのですが成功は一回限り。その成功した手法は1年後にはもう古くなるとおっしゃっているんです。1曲ごとにその曲の役割に合ったベストな方法を模索すべきであって同じやり方を使いまわすのはご法度。さすが大作詞家。普通の人なら「柳の下の泥鰌を狙う」ことに汲々としているのにレベチとしか言いようがありません。
ではなにも学べないかというと
ぜんぜんそんなことはなくて自分はどういう考え方でやっているかというその考え方をオープンにしています。やり方としては大量に情報をインプット。それを自分の確固たる音楽観・人間観・社会観に落とし込んで半ば無意識的に作品化するというもの。感覚的な「いける」という判断が先にあって細かい説明はあとから。作詞は理屈で組み上げるようなものではないというのは一瞬で判断される音楽という作品の受容のされかたに呼応していて逆に合理的と感じました。
なお精神論だといわれても
それでも具体的な方法が書いてないと批判されるかたもいらっしゃるとおもうのですが、これだけ聞いて自分なりの手法を考えてみようとしないなら自分オリジナルなものをつくろうとはすこしも考えていないかたなのでそもそもクリエイティブにはむかないと僕はおもいます。
ポイントは
いままで電子書籍にこんなにしおりをはさんだことがなかったので引用しだすとキリがないのですが3つポイントをまとめると
1作詞家は企画会議に必ず参加 決めるのは誰にいつ売るか レコーディングに必ず立ち会いうまくいかないところはその場で直す
2情緒の定番はなくなった 毎日のように変わるものに見つけるほうがおもしろい
3歌は本来生理的に快いものであるべき テープを何度も何度も聞く 歌ってみてリズムや曲の雰囲気をこわさないようにことばを選ぶ
トレンドをつくる人
そういうひとの特徴だと思うのですが感覚が全方位的にひらかれていて視野が無限かつ自信に満ち溢れている。この感じなにかに似ているとおもったらChatGPTですねw。クリエイティブであるということはどういうことなのかそのスタンスが参考になります。
作品が古典になって
かつてトレンドになった阿久さんのつくった歌謡曲は古典になって今でも歌われていますね。同様に阿久さんの作詞は一般大衆を相手に「毎回かわること」を前提としていましたからそのポリシーは古くなりようがありません。
だれでもできることではない
人間を相手にした仕事ですから人間の本質というところから目をそらしては作詞はできない。自分の貪欲さも肯定する阿久さんですから「作詞家は野心的であれ」とコーチングしてくださいます。これが今回じつは一番難しい事なんじゃないかと感じました。僕たちは基本的に飼いならされていますので野心的であれと言われても戸惑ってしまいますよね。「今風の野心の育て方」というのは今後考えていくべきテーマではないかと思います。それと「恋愛をどう描くか?」ですね。阿久さんも当時の恋愛観が古すぎるとこぼしていらっしゃいますが性的多様性の時代ということをぬきにしてもいつの世でもいちばん困難な課題なのかもしれません。
卑屈にならないこと
歌詞をつくることは自分の考えを「世に問うこと」。もちろん出す段階では世間がどうリアクションしてくれるかは完全にはわかっていないわけですがそんな気概を持っていなければ作品自体をつくることができません。なので最初から卑屈になっていては話にならない。阿久さんはその後小説を書かれたりもするわけですがいったん自分の置かれている状況をはなれて自由にフィクションとしての歌詞の世界を構想する。そういう作家的な発想をお持ちだったのだと思います。
完パケをつくる・グループで活動する
自分の作詞の価値を伝えるのに時代の変化にあった方法をとるべきという話も阿久さんはされていてこれが完全に今にあてはまっているのはさすがとしか言いようがありません。VTuberとかAIとかご存命ならバリバリ使いこなしていらっしゃいそうです。
時代の空気は色あせない
超ザックリとふれてきましたが「自分で考える事」がすべて。徒弟制度などいまの時代ありえないと阿久さんはおっしゃっています。当時ですらそうなんですから学べるのは「考え方」。でもそれは時代のその時どきのピークの空気の記憶と共に色あせないものと感じます。 阿久さんの言葉に背中を押されつつこれからもごいっしょに作詞についていろいろ考えていきましょう。それではまた次回のブログでおめにかかりましょう!