ポピュラーミュージックについてなのですが気づいたことを少し整理してお話したいと思います。内容は音楽をやるときに一番大切なものはなに?ということについてです。いまはネットにいろんなツールや材料となるコンテンツがあふれています。でも逆にどれを選んだらいいのか、迷いますよね。無料なものもたくさんありますし、さらに、有料のものなら、みんなそれぞれ「効果」をうたっていますから目移りしてしまいます。ツールや教材はもちろん有効なのですが、僕の考えではそれはある条件が整ってのことだと思います。この記事ではその「前提」についてまとめてみたいと思います。
この記事でわかること
- ベーシックなツール、楽譜とコードネームの役割
- 音楽の前提条件=ポピュラーミュージックの枠組み
- 前提条件をみにつけるには?
楽譜とコードネーム
音楽を学ぼうとしたときに避けて通れないほど多く目にするのが楽譜とコードネームです。ツールやコンテンツのほぼすべてが楽譜やコードネームを使っています。楽譜とコードネームさえわかれば、音楽がわかるのではないか?そう考えているビギナーはとても多いと思います。以前の自分もそうでした。自分が「音楽がわからない」のは譜面が初見で読めないから・コードネームがすぐにおさえられないから。そんな風に思っていました。でもこれは結果的にみるとまったく誤りでした。楽譜やコードネームを最初に理解しようとするのは逆に非効率なやりかただということに気づいたんです。その理由をお話したいと思います。
すごくシンプルな話をします
みなさんの理解の助けになるようにすごくシンプルな話をします。たとえば僕たちが友達に音楽を聞かせてもらうときイヤホンやスマホで聞かせてもらうと思います。そのとき直接相手からもらうのは「音」ですよね。楽譜やコードではありません。もし手元に何もなければ友達は覚えているメロディを鼻歌で歌ってくれるかもしれません。それでもそれは「音楽」です。こんなふうに音楽はあくまで「音」。もし僕たちが体ひとつで音楽を「まるごと覚えて」それを音として再生することができるとしたら、音楽の表現に楽譜やコードはそもそも不要なのです。
楽譜やコードのやくわり
とはいえ名前を付けずになにかを覚えることを人間は苦手としています。とくに音楽は色や形のないもの。そのまま記憶するのはむずかしい。だから人は音楽をあらわすのに楽譜やコードを使っているのです。つまり楽譜・コードは音楽をあらわすための手段で、音楽そのものではありません。
絶対に変わらない序列
音と楽譜・コードの間には絶対に変わらない序列があります。順番は1が「僕たちの頭の中にある音」。2が「楽譜やコード」です。この順番は絶対に変わりません。僕たちにまず必要なのはつまり「音」そのものです。
僕たちが最初にやるべきこと
したがって僕たちが最初にやるべきことはつまり「さまざまな<音楽>を聴いて、それを音として<実感>する」ことです。これはとくに意識しなくとも音楽好きのかたならすでに日常的にやっていますよね。
僕たちがつぎにやるべきこと
さらにこの実感を定着させるのが歌ったり楽器で演奏したりすることです。歌ったり演奏したりするためには曲をおぼえることが必要です。もし僕たちが音楽をどんな形にせよすこしでも再生できれば、僕たちはその範囲では「音楽がわかっている」と言えます。再生は曲のその部分をおぼえていてはじめてできることだからです。
より深く音楽を知ろうとすると
さらに先に進もうとするとき、はじめて音を文字で表現する必要がうまれてきます。音楽をおぼえて理解するために僕たちが次にやることは自分が実感しおぼえて再生できるようになった「音」をいつでも思い出せるような形で記録することです。こうすることで僕たちは自分が「今していること」がなにかを理解できるようになります。ここでようやく登場するのが楽譜やコードなのです。
なんのために「音楽をわかりたい」のか
かんたんな曲をおぼえて歌うなら楽譜はいらないでしょう。少し難しい曲を両手でひくなら和音とメロディがわかるものがあれば便利です。作曲をしたいのならもっと深く音楽を知るために譜面を理解できた方がいいでしょう。こんなふうに段階によって必要とされるものはおのずからかわってきます。しかし変わらず重要なことはいつも自分の中に自分なりの「音」があることです。あとはその必要に応じて表現の細かさの度合いを調節するだけだからです。そしてどの段階でも「音楽がわかっている」ことにはかわりありません。
「音楽がわからない」とかんじてしまうのは
「自分ができること」に注目していれば、「わからない」と悩むことはありません。どんなに小さなことでも、できるようになればうれしいですし「わからない」ことも実際しだいに「わかる」ようになっていくからです。それなのに「音楽がわからない」と感じてしまうのはなぜでしょうか?以前の僕は悩んでしまっていました。音楽が「わからないことだらけ」だったからです。いま振り返るとそれは「自分の中に音がない状態」なのに段階をとびこして「作曲」という「細かい音の違いまでも実感している必要のあること」にチャレンジしたためでした。
「音を実感する」をつみあげる
僕のような無駄な悩みを抱えないためにも、ブログの読者のみなさまにはご自分のやりたいことに合わせて順をおって「音を実感する」経験をしていただければとおもいます。そのための出発点は第1に自分のすきな音楽を聴くこと。第2に少しずつからそのメロディをひいてみることです。
ポピュラーミュージックの枠組み
曲のメロディを理解しようと思ったときに、役に立つのはポピュラーミュージックをなりたたせている音の仕組みです。drmfsltd(ドレミファソラシド)の音階と、それからうまれるDmst Rfld Mstr Fldm Strf Ldms Trflの7コードはシンプルでありながら、音をとらえるための強固な枠組みとなってくれます。
音楽にとりくむときのもっとも効率的なやりかた
つまりタイトルのもっとも効率的なやりかたとは
1)ポピュラーミュージックのしくみにのっとって
2)音を実感することをつみあげる
となります。この記事でつかってきた言葉であらわせば譜面やコードはこの<しくみ>にのっとって<実感>を記録したもの。実感が先行していれば譜面やコードにかかれていることはあらためて理解する必要のないいわば「当たり前のこと」になります。つねに<実感>を譜面やコードに先行させること。これがもっとも効率的なやりかたとなります。
まだまだ道半ばですが
このブログでは音の仕組みとそれを実感するための方法を自分なりに工夫しながらご紹介しています。前提にしていただくと楽譜やコードもかなり理解しやすくなると思います。僕に役にたったことはきっとみなさんにも役に立つはず。自分の経験からして音楽の専門教育を受けていなくても、またいわゆる「絶対音感」がなくても自分の中の音を実感し音楽の理解を深めることは十分に可能です。またその結果、客観的な音感も向上します。あくまでも目的は音楽を「楽しむこと」。よろしければまた次のブログでお目にかかりましょう。