タイトルの「アマチュア作曲家」とは自分のことです。ぼくはポップミュージックを作りたくてDAWを勉強していましたが、どうやらSUNOの出現でぼくができることはほぼなくなったようです…。SUNOのほうが上手くできることを、自分でやってもしかたない。じゃあ、何をすればいい?この記事ではその「回答」を考えます。なので基本的には自分用のまとめです。だだ、現状の整理もしていますので、読者のみなさまには、もしお役に立つようであれば、そこだけピックアップしてお楽しみいただければと思います。。

いきなり結論ですが
結論:今は「音楽の勉強」をしておけばいい。特にぼくの場合は以下のとおりの基礎()。
超具体的には 1)日本人の魂にふれる有名曲のセレクト
2)初級レベルで演奏 メロディーとコードで「曲」にする。
3)そのために「耳コピ→単純化アレンジ」の方法をマスター
0)番外編:音楽生成AIで曲づくり
作曲をめぐる環境は今後も状況が大きく変わってくると思いますので、ぼくの場合それまでは「楽器をひく」ことをやっておこう、という感じですね。
名曲のなかみは、自分が曲をリリースしたい場所によって変わってきます。受け入れられるには相手がその音を「知っている」が必須だからです。これは外国語と同じ。相手の母語を話せば「心」で会話できるはずです。
では結論の「理由」を解説していきましょう。内容は以下の通りになります。
<もくじ>
1.自分にとって価値のあることは?
2.評価されるとは?
3.生成AIでおきること。画像は?
4.音楽生成AIでは?
5.DAWの今後を予想すると?
6.AIアシストを前提とした作曲の本質は?
7.聞き手にとどけるためにどう使う?
8.楽器をひくことの意味
9.自分が納得できる作曲のために
余談)音楽生成AIを学ぶ
付録)リズムアンドブルースとロックンロール
1.そもそもの話、自分で作ったものには意味がある
全部そうです。意図通りにいかなかったもの含めどんなものであっても、ですね。極論すれば、自分が「面白い」と思って着手しているのですから、ひとにどう思われるか?は二の次三の次。実はどうでもいい。とはいえ、作ったものはあなたの一部。否定されたくはないですよね。でも、ネットにリリースしてバズらなかったとしても、絶対傷つかないでください。「評価される」は作品の成り立ちとは直接関係のない、別の仕組みから成り立っているからです。
2.評価されるとは?
他人が評価する、とは、簡略化すると「その他人が『すでに知っている』と感じる」。ということです。すごくよく知っている(つまり好き)と感じると「高評価」されます。再生数とか、いいね、バズなどは、さらにその集合体です。過半数にそう思われることが必要。つまり、作品の作り手が感じる「意味」とは、ほぼ関係がなくなります。楽曲より「あなた」自身が知られていることのほうが重要になる場合すら多々あります。
3.画像生成AIでおきたこと
画像生成AIがつくれるのは学習したものだけ。評価基準も「それらしいものが描ける」ことです。クリエイティブなことなの?と疑問に思われるかもしれませんが、結果、画像生成AIは進化し続け、見たことのあるもの、を高い品質で作れる領域がどんどんひろがっています。コストを考えれば、ビジネス用途では今後ますます採用されるでしょう。結果、文字が入れられるようになったり、実用範囲は広がり続けています。その一方で、絵をコンピュータで自分で描くところから学ぼうとする人は、激減しているでしょう。それをせずに欲しい画像が手に入るようになったからです。
4.音楽の場合
音楽も画像と全く同じです。BGMとして実用的に聞かれるジャンルなら、音楽生成AIの採用にためらいはないでしょう。可能性として、BGM音楽チャンネルの運営は、現状の音楽生成AIでも十分できるだろうと感じます。ポップスにおいてもヒット曲を手本にした「どこかで聞いたことのある」楽曲がAIによって大量に作られることになります。ぼくが冒頭で言った、「自分で作るまでもない状況」とはこのことです。大量に作らせて、その中から良いものを厳選する、という方法なら、奇跡の名曲すら生まれる可能性はあるでしょう。AIによる音楽生成は現状クオリティの上限が見えず、どこまで進化するか予測できないという点もポイントです。将棋のように一部のプロにしか対抗できないレベルになる可能性もあります。
5.DAWの進化
画像エディタには画像生成AIが、動画編集ソフトには動画生成AIが搭載されるのが、すでにトレンドです。同じことがかならずDAWにもおきます。指定したメロディに対する伴奏や、楽器のガイドメロディを歌に変えた完パケがAIによって作れるようになるのは時間の問題。AIの使い勝手が、DAW選びの基準になる日も近いのでは?と思います。一方で、楽曲が欲しいだけの人はDAWを使わなくなると予想されます。以前のようなプロ対象の高価格なソフトに戻る可能性もあるのではないでしょうか?
6.AIアシストを前提とした作曲の本質は?
AI作曲を前提にDAWの将来の進化を考えると、音楽のことが「ちょっとわかっている」だけで、その自分の能力を恐ろしいほどブーストしてもらえる可能性が出てきたといえるでしょう。初級の弾き語りレベルでも、ことポップスの作曲ならそれが絶好の「タネ」になります。AIが思い通りのアウトプットを提供するのは、的確な「タネ」が用意されているとき。なので、初級の音楽をマスターしただけで思いのままにAI搭載DAWを使いこなせるその「入り口」に立ったことになります。
7.聞き手にとどけるためにどう使う?
「評価」の話にもどるのですが、聞き手が「良い」と感じるのは「知っている」と感じた時です。作曲のために音楽の知識の習得するのは、この「知っている」を再現するため。ただ音楽の「知っている」は「頭で知っている」のとは違います。少々長くなってきたので、箇条書きに整理してまとめます。この記事の重要ポイントです。
7.1 音楽を「良い」と感じる感覚の正体
・「良い」と感じる感覚は、意識的な理屈ではなく、生理的・身体的な反応に近い。
・自分が過去に聞いてきた音楽(聴取経験)が、無意識レベルで身体感覚に刷り込まれている。
・聴いた音楽が、刷り込まれた感覚との距離感によって、自動的に「心地よさ」「違和感」などを生じさせる。
7.2 自分の音楽的嗜好を「客観視」する重要性
・聴き手(ターゲット)に音楽を届けるには、自分自身の音楽的嗜好を客観的に把握できている必要がある。
・客観視できなければ、届ける相手の嗜好と自分の嗜好のギャップに無自覚となり、音楽は「伝わらない」。
7.3 「ジャンル・音楽ルーツ」の違いが生み出す距離感
・「リズム&ブルース」と「ロックンロール」の関係(セブンスコードやアフタービートの取り扱い)は、ジャンル間の感覚的距離の一例。
・クラシック、カントリー、ボカロ(民謡的な旋律感覚)、ブルースルーツのポップス、これらはそれぞれ異なるルーツを持ち、無意識的に求める「良さ」が異なる。
・作曲者が自分のルーツを自覚せず、無意識にそれに囚われていると、ターゲット層に向けた音楽を生み出せず、共感を呼べない。(リズム&ブルースベースのボカロポップスを作ったぼくの実体験です)
7.4 AI作曲時代+SNS時代における作曲家の役割(マーケットとの距離)
・AIが提案する音楽を正しく評価(ジャッジ)し、マーケットのニーズに合わせ適切に調整できるのが、作曲家の最重要な能力となる。
・AIの回答は作曲家要求に対する正解でしかなく、ニーズを自ら判断することはできない。インプットが間違っていれば、アウトプットも間違う。
・ユーザーの求めるものとAIのアウトプットとの「距離感の微調整力」こそが、作曲家に求められる。それが「キャッチーさ」と「新しさ」を両立させる鍵となる。
・SNSのアルゴリズムを前提にすれば、「ユーザーニーズ(トレンド)」以外の明確な基準はない。
8.楽器をひくことの意味
音楽の理解は身体的・感覚的なもの。だとすると、理解する一番の方法は「やってみる」こと。具体的には音を出すことです。筋肉記憶で反射的に実行できるようになると、音を体の一部に取り込むことができます。音は一定不変の物理現象ですので、音の間隔に具体的な距離を持っていますが、それを身体感覚に落とし込むことができます。つまり音楽の構造(スケール・コード・リズム)を「理論」でなく、「身体感覚」として即座に理解できる(筋肉記憶化)ようにすることが可能です。こうして身体化された音楽は、理屈を超え、瞬間的に音楽の良し悪しを判断する直観力(センス)につながります。結果、AIが提案した曲の良し悪しを瞬間的にジャッジできるようになります。つまり、楽器習得による感覚拡張は、AI時代において、ますます作曲家としての本質的強みになる、というわけなのです。
9.自分が納得できる作曲を
話が最初に戻りますが、作曲の本来の目的は、「バズること」だけではないはずです。そんなこと、改めていうまでもないですね。自分が大切にしている「良さ」の身体感覚がなにより優先なら、それが現代のリスナーにどれだけ違和感を感じさせようと100%無視すべきです。自分のための作曲ですから。ただ、逆にリスナーのための曲を作りたいと思うなら、そのために自分でできることはすべてやるべきでしょう。バズらないとしたら、音楽的レベルも含め、要求に十分こたえられていない結果でしょう。いずれにしても中途半端だと、自分自身の納得できる作曲はできないと個人的には思います。他人のことを考えるのに疲れた時は、シンプルに楽器の演奏で自分の中に「わかる」ことを積み上げていくのが、良いのではないでしょうか。それを土台にすればきっと解決の糸口はつかめるでしょう。なにしろそれをAIが手伝ってくれる未来はすぐそこですから。
余談 音楽生成AIを学ぶ
音楽生成AIは楽曲をテキストで(タグ付けして)理解しているそうなので、能力を引き出すためには文字化された音楽の知識が必要です。今後もずっと音楽生成AIと付き合っていくとするなら、これは「学んでおいて100%損のない知識」と言えるでしょう。ここまで読んでくださった読者のみなさまに、とっておきのチートを一つ紹介すると、GPTに「あの曲のスタイル、音楽生成AIで作りたいとき、どう表現すればいい?」と聞いてみて下さい。おどろくほどの再現度で、楽曲生成される場合があります。(詳細はまた次の機会に)
付録 リズムアンドブルースとロックンロールの関係
<AI調査ですのでハルシネーションに注意してください。根拠不明な記述も含まれています。おおまかな傾向としてお読みください。>
R&Bの商業的改変プロセス:音楽的調整と社会的背景の検証
白人向けの商業音楽としてのロックンロール
本報告では、1950年代に白人アーティストが黒人リズム・アンド・ブルース(R&B)を「ホワイト化」した過程に焦点を絞り、音楽理論的調整と産業構造の相互作用を分析する。特に「白人の耳になじむ調整」という観点から、セブンスコードの排除、ブルーノートの平準化、リズム構造の単純化を中心に検証する。
R&Bの本質的特徴と白人リスナーの受容障壁
黒人音楽のコード理論的独自性
R&Bの核心はドミナントセブンスコードの連続使用にあった。自然倍音列の第7倍音(B♭)を含むC7コードが基本構造となり、ジャズ的緊張感を生み出していた。例えばファッツ・ドミノの「Ain’t That a Shame」ではE7-A7-B7の進行が意識されているが、パット・ブーンのカバーではE-A-Bのメジャーコードのクリーンな響きで演奏されている。
リズム的複雑性の文化的背景
黒人音楽の特徴であるシンコペーションとポリリズムは、南部農園地帯での集団労働リズムとアフリカ音楽の伝統に根ざしていた。これに対し、当時の白人リスナーは4分音符を基調とする賛美歌やカントリーのリズムに慣れていた。ビルボード誌1957年の分析によれば、白人向けカバー曲の87%がオリジナルよりテンポを5-15BPM遅く調整されていた。
白色化のための音楽的調整プロセス
コード進行の単純化
主要な調整手法は以下の3点に集約される:
セブンスコード→メジャーコード変換:緊張感を排除し安定感を付与
ブルーノートの平均律化:マイナー3rd/7thを厳密な半音階に修正
12小節進行の8小節化:叙情的構成への変更
具体例として、リトル・リチャードの「Tutti Frutti」オリジナル版(A7-D7-E7)がパット・ブーンカバーでA-D-Eに変更されている。ベース・ドラムのリズムのアクセントも小節先頭に移動。この改変により、Billboard Hot 100でのチャート順位がオリジナル17位→カバー12位と逆転現象が発生した。
リズム構造の再編成
白人プロデューサーはバックビートの抑制とスウィング感の排除を徹底した。オリジナルR&B録音のオフビートのスネアアクセントが、カバー版では削減された。特に顕著な例がザ・コーズ「Sh-Boom」のクルー・カッツによるカバーで、シンコペーション比率がに低下している。
商業的成功のメカニズム
流通ネットワークの差
1954年当時、黒人アーティストのレコードは専用流通チャネル(Race Records)を通じ黒人コミュニティ限定で販売されていた。対して白人カバー版は全国チェーンの薬局やデパートに並び、流通網の差が売上差に直結した。
メディア露出の格差
黒人アーティストのテレビ出演は地域限定放送が原則で、これに対し白人カバーアーティストは全国ネット番組に頻繁に登場した。R&Bオリジナル曲のTV露出時間に対し、カバー版のほうが多く格差があった。
代表的なカバー事例の比較分析
ケーススタディ1:「Ain’t That a Shame」
オリジナル(ファッツ・ドミノ):ブルース的抑揚とグロウル唱法
カバー(パット・ブーン):クルーニング唱法(優しくささやくように歌う)とストレートトーン
音楽学的分析では、ドミノ版に対し、ブーン版は情感表現の平準化が確認される。
ケーススタディ2:「Sh-Boom」
オリジナル(ザ・コーズ):アカペラ要素と即興的ハーモニー
カバー(クルー・カッツ):オーケストラ編曲と固定ハーモニー
オリジナルの高周波成分がカバー版比で豊富。カバー版はエッジの効いたサウンドが削がれていた。
社会的影響と音楽史的意義
人種的階層の再生産
カバー現象は音楽産業内に二重構造を形成した。黒人アーティストが「原料供給者」、白人アーティストが「製品完成者」という役割分担が固定化され、印税配分でも黒人作曲家が低い率で不利な契約を強いられた。
白人層の文化受容
白人ティーンエイジャーにとって、「カバー版の方が親に許容されやすい」と認識されていた。また、「カバー版なら許可する」とする白人保守層が多かったことは、人種的偏見の存在を示している。
結論:作為的改変の本質
本調査で明らかになったのは、単なる「商業的アレンジ」を超えた体系的な音楽的再編成である。背景には意図的な文化操作が示唆される。このプロセスを通じ、黒人音楽の本質的要素が「安全なエンタテインメント」へと変容した。
筆者注:
聞き比べると、何を魅力のメインに据えてアレンジしているかに、明白な差があるように思います。rズム&ブルースはスィング感。はっきりとアフタービートにアレンジ・演奏されています。一方、カバー版(ロックンロール)は、ボーカルのスムースさとクリーンなハーモニーですね。頭拍にベースとバスドラのアクセントが置かれていて、跳ねないリズムでクールな雰囲気を出しています。リスナーの好みの違いが明白ですが、マーケットの要求だけを重視するなら、そもそも音楽に優劣はなくどちらも正解。要求にどこまで近づけたか?だけが成功・失敗の判断基準になります。