音感がよくなることの効果は思った以上。段階を踏んでですが想像を超えて変わってきます。でもきっかけはちょっとしたこと(このブログを読むみたいな(自画自賛すみません))ですし別に日々やることもこれまでどおり音楽を楽しんで聞くことだけ。そこにすこし《やること》を足すだけで大きな変化が生まれてきます。結果どうなるか?自分の場合はストレスがもろもろ減ったのが良かったですね。音楽全般に対してフッ軽になることができました。長い間ウツウツとただ考えていただけだったのかと思うと振り返って自分の行動「意味なかったな」と思います。いろいろなしくみも次第に見えてきました。
この記事でわかること
- 現在地点は?
- 音感がよくなるとどうなる?
- 具体的にはなにをやっている?
- はまった音感ゲーム
- 見えてきたこと
- すごい曲はなぜ評価されないのか?
自分がどのレベルにいるのか?
あいかわらずピアノの譜面を見てひくなんてことはできないわけですがwそういうことを気にする必要はまったくないということがわかってきました。重要なのはそこじゃありません。だからこれまでの尺度で「自分のレベル」をはかるということはいったんストップしたほうがいい。実際は音楽は多面的なものなのではかる尺度だっていろいろなものさしが必要なはずなんです。単純化された一元的な「レベル」のことは忘れてまるごと音楽を楽しんでいればトレーニングをしなくてもちょっとしたことで音感はよくなります。またその結果できることは増えてきます。
音楽アプリでわかること
「できる」とか「ひける」「うたえる」というのはひとつの結果。だから今の自分のできること=「レベル」を最初から気する必要はじつはないんです。いつのまにか自然にできるようになっていることに目標設定して「がんばる」みたいなことは必要ないですよね。iOS用のすごくいい音楽チュートリアルをみつけたのでいま楽しんでいるところなんですが課題をクリアしていくという点はゲームと同じ。でもこれをかんたんにクリアできるのは僕の音感がすでによくなっているからなのです。つまり結果。このゲームで練習したからじゃありません。「この曲を仕上げる」という目標をたてるのはもちろんよいことではあるのですがそのために必要なことはその曲を練習しても得られない。この説明なんとなくわかっていただけますか?たいせつなのは頭の中に音楽をつくること。そのほうが先にやるべきことなんです。
自分の心の中の音を表現
頭の中というと場所が脳に限定されてしまうので心と言い換えてもいいですがそこに音楽がまず存在していればゲームもかんたん。耳コピするのもかんたん。DAWに書くのもかんたんになります。そして楽器を練習したくなるのはそれを心の中から外にだして音(=空気の振動)にしたくなるから。楽器でひいたらどうなるのか試したくなるからですね。自分の好奇心しかないわけなのでそういう「練習」に義務感なんてかけらもないことは想像していただけると思います。だれかにストップされるまでやりたくてやりつづけちゃう。いまの僕もVOCALOID6やその他の音声合成で歌ってもらったらどうなるのか試したいことだらけです。
具体的にやっていること
あいかわらず12keyの音階が中心。見た目にはかわりばえがしません。でも中身は大きく進展しています。すでに書いた通り音楽の認識についての知見を得ているから。「頭のなかにバーチャルな音楽を流す」ことが根本にあります。
すべてのちょっとした練習はその構築のためにやっているとお考えください。頭の中に流れる音楽のディティールの解像度を上げて正確なものにしていけばいくほどあなたのほんとうの意味での「レベル」はあがります。
右手12key+左手ダイアトニックに加えてやっていることはひとつは両手びき。もうひとつはコードトーンアルペジオです。またツールとしてはメトロノームをプラスしました。両手びきについてはメロディをひきながらコードを模索するというもの。記事としてはこちら。(コードトーンアルペジオについてはあらたに記事をかきます。)
メトロノームの重要性についてはこちらの記事をご参考になってください。なぜメトロノームを使うかというと頭のなかのバーチャルな音楽の土台にするためです。
できるようになったこと
耳コピは伴奏にしてもメロディにしてもめちゃめちゃカンタンにひろえるようになりました。自分比10分の1くらいの労力ですんでいます。WAVがDAWにはってあればゆっくり再生でほんとうにラクに音がとれます。おおまかなやり方としてはこちらです。
こうなってくると以前ご紹介したこちらのツールも要所のみで使えばOKですね。
分かってきたこと
わかってきて一番つらいのは自分の過去曲の不備が明確に見えてきたということですね()。当時は「わるくないじゃん」と思っていた(だからこそアップロードして発表している)わけですがいろいろマズイです()。 音として間違っているというよりはそれ以前に圧倒的に足りない。それは音量や音質や音数ですね。全部ですやんw。ひるがえって名曲をきくとなぜ名曲なのかその所以が以前よりもこまかくわかります。なんとなくいいと思っていたところ。それを実現するのにどういうつくりこみがなされているのか。そういうことに目が向くようになります。前は存在にも気づかなかった手当てがなされているんですがその手当てに気づいたということは自分もすこしはそれに近づけるということではありますよね。今の僕はそうした一歩を踏み出したところです。
圧倒される音楽
そうした僕の目から見て圧倒されるほどすごい音楽というのは多々存在します。ただそれには2種類あって圧倒されて憧れの気持をいだく音楽と圧倒されるだけで聞くのはもうイイヤとなってしまう音楽にわかれます。楽曲を発表されているのはプロなので音楽性・技術力ともアマアマの僕など足元にもおよびません。その意味では文字通りレベチ(=レベルが違う)。ただ圧倒される中にもコミットできるなにか(楽しさだったり・グルーブだったり・歌詞の深さだったり)があれば「もっともっと聞きたい」という気持ちになりますよね。仮に僕の楽曲に圧倒的な音楽性があったとしてそれが「愛されない」としたら自分の音楽性を全開にするのは控えるべきかもしれません。だれもついてこれない方向に突っ走ってしまうより余裕をもってできることをやったほうが聞く人がコミットできると思うからです。まあ現状そうした心配は完全に杞憂(笑)。僕は全開にしてもたりていないくらいですから。それではまた次回のブログでおめにかかりましょう!