昨日新しいDAWでお試しプラグインをいろいろ触っていて熱中。30分ほどがあっという間に過ぎたところでメロディを考えようとYAMAHA PSS-A50を取り出したところ。?!?!PSS-A50の音程がなんとも気持ち悪く外れている。PSS-A50は買って以来毎日調子よく使ってきたので突然壊れてしまうなんてことはあり得ない。そこで真っ先に疑ったのは自分。正しいはずの音が正しく聞こえないということは自分の耳か脳。いずれにしてもどこかに重大な変調が生じたに違いない。「世界が揺らいで見える」感じ。普段はあまり感じたことのないその感覚を一時あじわいました。
この記事でわかること
- 原因は?
- 人間のスタビリティを信じる世界観
- エンタメとアートの違い
- メジャーな音楽の役割はどこ?
自分を落ち着かせるために
まずしたことはスマホアプリのチューナーで音程を計ってみること。なにがおかしいのかが分かればどうしたらいいのかの見当もつきます。
使ったチューナは以前もご紹介した無料のこちら。
Tuner T1
https://apps.apple.com/jp/app/tuner-t1/id453056916
https://play.google.com/store/apps/details?id=com.jsplash.tuner&hl=ja&gl=US
440の基準音をはかってみると
1割ほど高い方にずれていることがわかりました。僕の耳はこの状態で30分作業したことによっておかしくなっていたわけです。ノリノリでしたのて余計そうですねw。
原因はすぐわかりました
MacにつなげているUSBスピーカーが48kHzをシステムに要求しているのですが、DAWのデフォは44.1kHz。これまでもロジックやスタワンは警告だけで音はちゃんと出していました。今度のDAWはバカ正直にその分高く音を上げて再生していたという訳です。全部が均等に狂っていると意外と気づかないものなんですね。
そんなに簡単にはおかしくはならない
冷静に行動できたのはおそらく僕が「生物としての人間の安定性」に信頼を置いているから。どこかで「そんなにかんたんにおかしくはならないだろう」と思っているからです。楽観的すぎるかも知れませんがこれもおおげさに言えばひとつの人間観ということになると思います。
なぜそんな話をするかと言えば
阿久悠さんが着想を人間観に落とし込んで作品化されていたからですね。僕はエンタメは人間のスタビリティを前提にしているところがあるように思います。ひとつは人間の健全な回復力や生命力。受けとる側が日常を過ごしていくことが前提されているからエンタメはしばしば普通の人を主人公にします。エンタメは続いていく日常に戻ることの決まっているドミナントコードのようなもの。そして安定にはもう一つ安定しすぎてしまうというよくない側面もあります。日常のみを過ごすうちに常識や観念にがんじがらめにとらわれてしまう。音楽のひとつの使命はしかめ面をしたひとを思わず踊りだしたくなるくらいにノらせる()ことではないかと僕は考えています。
エンタメと違ってアートは
オプティミステックな人間観を前提にする必要がありません。極論すれば受けとり手の事を考える必要がありません。日常に帰る必要もありません。エンタメとの比較で話し始めたので表現がネガティブになっていますが本来アートは自由なもの。エンタメと比較すること自体が無意味なこと。だからアートな音楽作品があって当然だしそういう作品を作りたいと望む人がいても当たり前ですね。
まっさきに「誰に向けて」なのかを考える
それにつけても阿久悠さんはハッキリしていました。作詞で最初にすることは「だれに売るのか」レコード会社と打合せすることでした。我々のような入門者はよく理解しておいた方がいいですね。これはなにもエンタメを狭くとらえなければいけないということではないと僕は思います。「日常をハッピーにする」のがエンタメ。ですがアート的な音楽やヒーリングミュージックを取り込んだって一向にかまわない。それが聞き手を喜ばせることになるならむしろ必要なこと。雑食性の貪欲さについても阿久悠さんはおっしゃっていましたね。
一番「いい」ものがあること
メインストリームという考え方はもう古いのかもしれませんが端的に「一番いいものがある」ところがメインストリームだとしたらそこに近づきたい。コマーシャルな成果を上げることが目的であろうとなかろうと阿久悠さんのおっしゃるようなエンタメの「作り方」は考え方としては外せない要素。「人間の回復力」から話がふくらみましたが僕は楽観的な人間観にもとづいて創作にかかわっていきたいですね。理由は単純にその方が楽しそうだからです。それではまた次回のブログでおめにかかりましょう!